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ラオニッチのコーチや両親など2016年の躍進の秘密を探ってみた

2016年7月、カナダ人のテニス選手として初めて、ウィンブルドンの決勝進出を決めたミロシュ・ラオニッチ選手。グランドスラムでの決勝進出もカナダ人初である。

2014年に日本人として初めて、グランドスラム決勝進出を果たした時の錦織圭選手のことを彷彿とさせる。
錦織選手は、コーチをマイケル・チャン氏に変えて大きく飛躍したと報じられた。

では、ラオニッチ選手を変えたコーチとは誰なのか。

また、テニスのような個人スポーツにおいては特に家族の影響が大きいという。
ラオニッチ選手を育てた両親や家族はどんな人たちであろう。

ミロシュ・ラオニッチ選手を取り巻くコーチや両親について調査した。

 

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 出典:Milos Raonic

 

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ラオニッチ プロフィール

まずラオニッチ選手のプロフィールをおさらいしておこう。

 

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ラオニッチ ランキングヒストリー

ラオニッチ選手は2008年にプロ選手となり、ぐいぐいとランキングを上げ、2012年ごろからは、トップ選手の仲間入りとなった。自己最高は、2015年5月の4位。2016年7月10日現在は7位。

 

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出典:http://www.coretennis.net/tennis-player/milos-raonic/5184/profile.html

 

ラオニッチ選手は2015年、右足のケガで全仏オープンを欠場、復帰を果たすもウィンブルドンや全米OPでの3回戦敗退など振るわず、年間最終ランキングが14位となってしまった。
2015年のランキング。

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出典:http://www.coretennis.net/tennis-player/milos-raonic/5184/profile.html

 

しかし、2016年には、元世界ランキング1位のカルロス・モヤ氏を新たにコーチ陣に迎え、好調である。ランキングも7位まで回復。これからも上昇の勢いである。

2016年のランキング。

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出典:http://www.coretennis.net/tennis-player/milos-raonic/5184/profile.html

 

2016年の勝敗

2016年7月9日までのラオニッチ選手の勝敗は

31勝8敗

 

8敗のほうの対戦相手は、4名。

マレー(全豪準決勝、モンテカルロ準々決勝、エイゴン選手権決勝)
ジョコビッチ(BNPパリバ決勝、マドリード準々決勝)
キリオス(マイア準々決勝、イタリア国際2回戦)
ラモスビノラス(全仏4回戦)


ラオニッチ 2016年のコーチと変化

 

2016年のラオニッチ選手のコーチ陣は、2013年からコーチをしているピアッティ氏、今年の全豪から帯同しているモヤ氏。

そして、芝シーズンの臨時コーチ、マッケンロー氏。

フィットネストレーナーは、シロラ氏 Dalibor Sirola。
フィジオセラピストは、ジマグリア氏 Claudio Zimaglia。

 

スペインを代表する選手であったモヤ氏は、1998年全仏で優勝するなどクレーコートを得意としていた。その一方で、芝コートのウィンブルドンが苦手であった。
4回戦での敗退に終わった全仏後、ラオニッチ選手は、ウィンブルドンで3回優勝しているマッケンロー氏をウィンブルドンの臨時コーチとした。

 

モヤ氏は冷静さをマッケンロー氏はポジティブ思考を教えたという。

 

また、ラオニッチ選手が今年大きく変わった点は、ボレーの攻撃的なプレーにある。

モヤ氏はボレーに磨きをかけ、マッケンローは積極性を加えた。

背の高いラオニッチ氏が自信たっぷりにネットプレーをすると、相手は心理的に追いつめられるという。

 

ラオニッチ選手は自分にはないものを確実に見極めて取り入れようとしている。

 

1月に錦織選手はこんな発言をしている。


モヤはちょっとびっくりしましたね。プレースタイルも違うので、びっくりはしました
http://www.thetennisdaily.jp/news_detail.asp?idx=114359

 

ウィンブルドン準決勝で敗れたフェデラー選手はこう語った。


昔のラオニッチは、ベースラインのずっと後ろにいた。2年前のここ(ウィンブルドン)でもそうだった。今年初めのブリスベンでネットに出てきたのが印象に残ったが、そのスタイルに自信をつけてきたのは間違いないと思うhttp://sports.yahoo.co.jp/column/detail/201607090001-spnavi

 

ラオニッチ選手はウィンブルドンフェデラー戦の後、こう語っている。

試合中自分を落ち着かせる必要が感じられた。ポジティブになったりネガティブになったりする自分がわかった

 

ラオニッチ選手は、試合中激情を爆発させる選手として知られていたが、フェデラー戦ではそのようには見えなかった。笑顔がほとんどない選手でもあったが、2016年のウィンブルドンでは笑顔が見られる。メンタル面の変化が、試合結果に表れている。

そしてラオニッチ選手が「なくてはならないコーチ」としているピアッティ氏によると、ラオニッチ選手は食事内容にもとても気を使っているという。ジョコビッチ選手に影響を受けてグルテンを大きく減らしている。運動量に合わせて必要なものを計算して食べている。

フィットネストレーナーのシロラ氏は生体力学や機能運動のプロでラオニッチ選手に効率的な体の動きを指導している。そしてフィジオセラピストのジマグリア氏がオーバートレーニングしないよう注意を払い、筋肉の柔軟性を強化している。


ラオニッチの歴代コーチ

1997 ギブソン Steve Gibson
1999-2007 カーチス Casey Curtis
2007-2009 マークス Guillaume Marx
2009-2010 ニーマイヤー(カナダ) Frédéric Niemeyer
2010-2013 ブランコ(スペイン) Galo Blanco
2013-2015 リュビチッチ(クロアチア) Ivan Ljubičić
2013 12月- ピアッティ(伊) Riccardo Piatti
2016 1月- モヤ(スペイン) Carlos Moyá
2016 6月- マッケンロー(米) John McEnroe

 

ラオニッチ選手が6歳の時、春休みのアクティビティとして偶然参加したテニス合宿が、ラオニッチ選手とテニスの出会いであった。

その時のインストラクターがスティーブ・ギブソン氏。


ラオニッチ家族はその後すぐに他の町に引越すことになったのだが、その時両親に、「ミロシュ君(ラオニッチ選手)は可能性を秘めているから、テニスクラブを探したらいい」と言ったそうである。

 

その後、ミロシュ君は2年ほどテニスをすることはなかったのだが、8歳となっていたある日、ミロシュ君は両親に言う。もう一度テニスをしたいと。

 

そして両親が見つけたのが、ブラックモアテニスクラブ。
しかしながら、その名門クラブでは、ほとんど経験のないミロシュ君をすぐにはメンバーとして受け入れてはくれなかった。

 

ミロシュ君と父はテニスクラブに入るため、近くのコートで早朝と夜にボールマシンを使って猛練習。
そして無事にクラブに入ることができた。

 

そのクラブのコーチがケイシー・カーチス氏。
カーチス氏もすぐにミロシュ君の才能を理解し、ミロシュ君はラオニッチ選手として花開かせることとなったのである。


ラオニッチの家族

ラオニッチ選手は、5人家族だ。ラオニッチ選手は3人兄弟の末っ子である。
ラオニッチ選手の家族の写真である。

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出典:https://www.thestar.com/sports/tennis/2014/07/02/how_milos_raonic_served_his_way_to_the_top_of_tennis.html

仲良さそうでとてもステキな写真。


ラオニッチの両親

父の名はデュシャンDusan、母はヴェスナVesna。
二人ともエンジニアで、テニスの経験は全くないという。


テニスについては何も知らないから、他の人たちの手に任せたと両親は言っている。

 

両親が春休みのテニスキャンプに申し込んだことで、テニスに出会ったラオニッチ選手であるが、両親がテニスをするよう強制することは一度もなかった。

ラオニッチ選手は小さいころからテニスがとても好きでとても熱心に練習した。

 

両親は、ラオニッチ選手のために、車で送り迎えをした。
しかし、他の親たちのように練習を見物したりあれこれ口出しをするようなことはなかった。

ラオニッチ選手を専門家であるコーチに預けてあとは終わったら迎えに来るだけであった。

 

コーチに言わせれば、だからこそ、ラオニッチ選手とコーチは濃密な時間を共有しテニスに専念できたのだという。

 

両親は、それぞれの仕事の分野で高度な教育を受けた専門家。どんな分野であっても専門家を信頼していて、任せるのがいちばんだという考えである。

 

ラオニッチ選手の両親は今でもテニスについてあれこれ言わないそうである。ラオニッチ選手が望めば手助けするだけである。

 

ラオニッチ選手は両親から、ベストな専門家から学ぶことが良い方法であることを学んだ。


ラオニッチのきょうだい

11歳年上の姉 イェレナJelena
10歳年上の兄 モミルMomir

姉は国際貿易とファイナンスを学び、兄はITとビジネス学んだ。
テニスはしていなかった。

ラオニッチ選手の家族は、チームラオニッチの一員として、ラオニッチ選手に協力を惜しまないという。

 

まとめ

ラオニッチ選手は、お互いを尊重し信頼しあえるコーチ陣と両親に囲まれている。

  

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