うわのそら事件簿

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エアーズロック-ウルルいつまで登れる?登山禁止の理由や経緯は

オーストラリアのほぼ中央に位置する赤い一枚岩エアーズロック。正式名称は「ウルル(Uluru)」という。ウルルは、オーストラリアの原住民であるアボリジニの人たちのがその岩を呼ぶ名前で、あとから入ってきた西洋人がエアーズロックと名付けていた。
そのウルルは世界的な観光地でこれまで登ることができた。今後登れなくなるとはずいぶん前から言われていたが、2017年11月2日、ついに観光でのウルル登山永久禁止が発表された。
登山禁止はいったいいつから実施されるのか。そしてなぜ禁止されたのか。

 

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エアーズロック-ウルル登山はいつまで登れるの?

"ウルルに歴史的な日。伝統的所有者は2019/10/26に登山を閉鎖"

禁止となるのは、

  • 2019年10月26日から

この日から観光目的での登山は永久に禁止。

つまり登れるのは、最長で

  • 2019年10月25日まで

しかしながら、この日の天候が悪かったり、何か事件やイベントがあったりした場合、最後の日が前倒しとなる可能性もある。

約2年の猶予期間は、すでに予約をしてしまっている観光客のために設けられた。
なお、10月26日は、1985年の所有権返還の記念日である。

エアーズロック-ウルル登山禁止の理由

ウルルは、その地域に1万年以上前から暮らしている人たちにとって

  • とても大切な聖地で登山は許されていないから

この地域に住む原住民のアボリジニの人たちは「アナング」と呼ばれている。アナングは、現在オーストラリアで公式にウルルのオーナーである。ウルルは、アナングにとって非常に神聖なる場所で、祭祀以外では決して勝手に登ってはいけない場所である。
現在登山用のチェーンが張られている登山ルートにしても、アナングにとっては神話の中の聖なる道筋である。とこが多くの人が通った今では遠くからでもはっきり見えるほどのダメージを受けてしまっている。
アナングの人たちにしてみればずっとディスられてきたといってよいだろう。

ウルル登山禁止を発表したのは、ウルルを管理している政府とオーナーたちの組織である。オーナーたちは自分たちの文化へのリスペクトを求めた。たいていの人は同意できる当たり前の要求である。

という自分も、これまで思い至らなかった。ウルルに登るってことがウルル観光の目玉みたいに思っていた。ちょっとショックだ。反省だ。。。多くの観光客もディスってるつもりはなかっただろう。

少し古い写真だが、伝統的所有者のサミー・ウィルソンさん。現在はウルル管理組織のトップである

エアーズロック-ウルルに今まで登れたのはなぜ?

というか、そもそも登ってはいけない聖地なのに、なぜこれまでは登山を許していたのだろう。

それは、

  • この地を観光開発したのが、18世紀の植民から始まるオーストラリア政府側であったから

と言えるだろう。
つまり、観光が始まった当時、もともとこの地に暮らしていたアナングの意向など全く考慮されていなかったのだ。

ご存知の通り、オーストラリアの原住民はアボリジニの人々。18世紀にイギリスの人々がやってきて、アボリジニをいわば侵略・迫害、土地を奪って植民地支配をした。後になって、オーストラリア政府はそのことを認め謝罪、アボリジニの人々の権利や地位の回復に努めている。

西洋人がウルルを発見したのは、1872年ごろ、翌1873年にウィリアム・ゴス氏がウルルを見て、南オーストラリアのサー・ヘンリー・エアーズ提督の名前を取り「エアーズロック」と命名したとされている。ちなみにウルルは大昔からそう呼ばれていて、ウルルという言葉自体には特に意味はないとされている。

西洋人とアナングは土地や食料をめぐって抗争が続いていたが、ウルルとその周辺は1920年にアボリジニの聖なる土地として政府の国立公園となる。1985年にはアナングの人々に返還されることになるのだが、それまでは政府が管理開発していたということである。

ウルルに最初に観光客がやってきたのは1936年。1940年代になると、国のアボリジニ福祉政策とウルル観光開発のために、西洋人がこの地域に住むようになり、1950年代からは本格的に観光地化してゆく。
砂漠に孤立する一枚岩ウルルは、当然のごとく登山の対象であった。登山道のチェーンは1966年に民間人が最初に設置したそうである。

ウルルの登山道

観光開発した政府側や観光業者は、アボリジニの聖なる土地であることを知っていたわけだが、聖なるものに対するアボリジニの思いは完全に無視されている。というかきっとアボリジニの思いに寄り添うことはなかっただろう。それで都合よく西洋人の観光の好みにフィットさせたんだろう。その当時の空気では、弱い立場だったアナングの人たちが踏みにじられていることに、政府側も観光業者も誰も気づきもしなかったのかもしれない。
とすれば当の観光客の方は苦々しく思われていることなど知るよしもない。

そしてこのウルル登山観光の方針は、ある意味大成功した。つまりは儲かった。
だから今日まで登山が許されているのである。

そして当然のことだが、アナングの思いは変わることはなかった。政府に、登山禁止を訴え続けた。

1985年に所有権がアナングに返還されるとき、政府は事前に登山禁止を約束していたのに反故にした。所有権を取り戻したアナングは、国が払うリース代や国立公園への入場料が収入となったが、収入をとるかリスペクトを取るかと言われていたようなものである。

 

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それがここにきてなぜ登山禁止が可能に?

わたしが考える理由は以下の3点。

第1に、アナングの人々があきらめなかったこと、
第2に、アボリジニがリスペクトされるようになったこと、
第3に、政府が禁止にしたほうがお得だと考えたこと。

2009年、オーストラリア政府は、ウルル登山禁止に向けて本格的に舵を切った。
その時に言われていた理由は3つ。

アボリジニの聖地であること
観光客によるゴミ投棄の深刻化
事故の多発

翌2010年には、ウルルの頂上で、ストリップをするフランスの女性ダンサーが現れたり、フットボールの選手がゴルフをしたりして、聖地へのリスペクトを欠く問題行動とされ、国内で禁止賛成の空気が広がった。
結果、その年、管理側は登山客が訪問数の20%を切ったら、または登山に変わる観光の売りが確立されたら、もしくは観光客にとって登山がウルル最大の観光目的ではなくなったら全面禁止を施行するという10年計画を発表することになる。

ゴミが増えたり事故が多発した最大の理由は、観光客の増大である。
1987年に、ウルルは世界遺産に登録され、観光客はどんどん増えた。2000年には年間40万人を超えたという。
2009年ごろの観光客は年間で35万人。そのうちの10万人ほどウルルに登っていた。

そういえば日本の富士山でもゴミ投棄問題が話題となったが、これはどこの観光地でも同じなのだろうか。

事故については、2000年までに分かっているだけで35名が死亡、その後2010年にも1名死亡。死因は滑落や心臓麻痺である。
ウルルはとても滑りやすく、濡れればとても危ない。頂上は348mとはいえ、上の方はひどい強風であるし、急な角度を登るため日頃運動しない人や持病がある人にとっては見た目よりもずっときつい。怪我はもとより、滑落のリスクもいつもそこにある。
また、ウルル周辺はステップ気候で、高温・乾燥がふつう。日陰もない。脱水症状に陥る人が多い。それを受けウルルでは夏の間の登山は禁止、また夏以外も予想気温が高い日は閉鎖、強風予想の日も閉鎖、雨や雷で閉鎖など気象条件による事故を防ぐために厳しい条件が適用されている。
さらに、木がないから見通しがよさそうにも見えるが、実際には上の平らに見える部には背丈を超える起伏がある。登山道を外れてクレバスに滑落しレスキューに16時間かかった例もある。
2015年には、登山道のチェーンを切られる、という事件が起き、しばらく登山が禁止された。また、アボリジニの重要人物が亡くなった時や、アボリジニのイベントがある日なども閉鎖され、最近では年間で8割は登れない日と言われている。

そして、ウルルのふもとには、登山をしないように促す看板が立っている。1992年から立っているそうである。

f:id:uwanosorajikenbo:20171105170902p:plainhttp://www.abc.net.au

「ウルルは私たちにとって聖地です。グレートナレッジの地です。私たちの伝統的な決まりでは、登山は許されていません」
「ウルル登山は禁止されてはいませんが、私たちの文化を尊重し登らないことをお願いします。私たちにはこの地を訪れた皆さんに伝え、皆さんを守る責任があります。登山は危険でもあります。すでに多くの死亡例があります。」

写真の右の方には日本語も見える。

安全確保という理由でウルル閉鎖の条件を厳しくし、地元の人の伝統行事を優先にしたり、看板を立てて思いを伝えることで、ウルル管理者側は、観光客数全体を維持しながらも、ウルル登山をしたい観光客を減少させ、観光の内容を登山から地元の伝統文化や自然風土の体験といったものにシフトしていくことに成功した。1990年代には観光客の74%の人々がウルルに登っていたが、2010年には38%、2015年には16%になったという。2割以下という2010年の計画は2013年には達成されていたそうであるが、正確な人数が確認されなかったことや根強い反対意見もあってすぐには禁止を可決することはできなかった。昨年4月時点でさえ、政府側は、閉鎖はまだできない、という立場に立っていた。

そして2017年10月、8人のアナングの人々と3人の政府側のメンバーからなるウルルの管理団体のボードは、その時が来たと判断、ついに
満場一致で登山全面禁止を可決した。

登山者が全観光客の2割以下が近年続いていることが確認されたことや文化と自然の体験という観光に内容が確立されたこと、近年のアンケートの結果、観光客の72%に訪問前までに登らないでほしいメッセージが理解されていることが確認でき91%が登らないと答えたこと、98%の観光客がウルル登山がなくてもウルル観光に来ると答えたこと、言い換えれば、ウルル登山を禁止しても観光業に大打撃がないと確信できたことが最大の理由であろう。

となると金銭的な安全が保証された今、権力側の政府にとっても実質弱者側であるアボリジニをリスペクトするという態度は、国内的にも国外的にも好感度アップである。世界的に現在、ひどい人種差別的な事件が顕著になる一方で、差別的態度は現代人にあるまじき恥ずべき行為として理解されている。たとえ建前だったとしても明らかに非難の対象である。白豪主義という今となっては黒歴史な過去を持つオーストラリアは、そういう意識に日本より敏感であると思う。
加えて、時がたち、アボリジニも移民も合わせてオーストラリアという意識が確立されてきているように思う。アボリジニにも入植者が敵という意識はなくなって、お互いがリスペクトしあえる間柄になっているのではないだろうか。だからアボリジニの聖域は他国の人にリスペクトされるべきオーストラリア全体の聖域という感覚を持つ人が多いのではないだろうか。そして時とともにアボリジニと入植者と移民とという区別も過去のものになっていくことだろう。

なんだか大仰なことを言ってしまったが、1万年以上続くアボリジニの伝統を守ったアナングの人たちはかっこいいな。きっと世界中で引用されるモデルケースとなることだろう。それは他ならぬオーストラリアの物語として。

どうやって禁止するの?

禁止と言われてもたぶんまれに登ろうとする人もいるだろう。
そんな場合どうやって禁止を遂行するのかというと、法律である。
ただ禁止するのではなく罰則がつく。

  • オーストラリアの法律で罰金が科せられる
  • 州の法律で6万ドル以上の罰金または2年以上の実刑

他には実際に登りにくくする対策を取る、かもしれない。考えられるのは、

  • 登山道を取り去る
  • チェーンを取り去る

チェーンがなくなると、いわばロッククライミング状態になって、普通の人には登ることは不可能になる。
登山道を見えなくすれば、安全な道筋がわからず、危険も増大し、登りにくくなる。

 

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まとめ

オーストラリアの世界遺産、エアーズロック、正式名ウルルは、2019年10月26日から観光での登山は全面禁止。その日から登山は違法行為となり違反した場合、罰金・罰則が科せられる犯罪となる。
ウルルは、現地に太古から暮らすアナングの人々意向を無視して18世紀に入植した西洋人により観光開発されてきた。そのため長年ウルル登山が観光の目玉となってきたが、ウルルはアナングの人々にとって聖地であり登ることを許されない場所であった。アナングの人々は登らないでほしい要望をずっと訴え続けて来た。
今回、観光業との折り合いも付き、ついにウルルは登山を禁止されることになった。


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おまけ

もう20年ほど前になるが、わたしはウルルに登った。ツアーに入っていて、スケジュール通りに早朝に登った。とても楽しみにしていたし実際きつかったけれど、とても素晴らしい体験だった。現地の人たちにひどい思いをさせているなんて思いもしなかった。
今回調べてみた結果からその頃も登らないでほしいという旨の看板は立っていたはずだが、まったく覚えていない。日本人観光客がたくさんいたけれど、日本語は書いてあっただろうか。もし英語だけだったらまず目に入らなかった。今の看板にはいろんな国の言葉で書かれている。ガイドさんは確かにアボリジニの聖地だと案内したと思うが登ってはいけないっても言ったかな。言ったとしても覚えてないのだから言われなかったのと同じだ。これは弁解しているのではなくて、登山は歓迎されていないという空気を当時は全く感じなかったということを言いたいのである。ウルル登山が観光の最大の売りであったことは確かなのである。

とはいえ、確かに、登山以外のアクティビティで素晴らしい体験をしたことも事実である。行く前にはウルルしか頭になかったが、行ってみたら初めて体験する乾燥気候、みたことのない植物、古代の壁画、地平線から地平線までの満天の星空、いろんな国の人とのふれあい、アボリジニの人たちや文化、ワニやカンガルーのバーベキューなどなどなにもかもに圧倒されっぱなしで、期待していたよりもずっと楽しかったことをよく覚えている。

登らないでほしいという意思表示と伝達に観光業者の協力が今回の決定には不可欠であっただろう。
思えばおかしなことになっていたわけだ。ウルルに登ろうと観光営業して、来てみたら登らないでという看板が立ってる。書いてあることは理解できるけれど、だったらどうしてウルル登山しよう営業するわけって戸惑う。
まあ身もふたもないことを言えばお金儲けにのっかっちゃったというわけで、なんだか後味が悪いじゃないか。
アナングのみなさんごめんなさい。
だけど本当に素晴らしい体験でした。貴重な体験をさせてもらえて本当に感謝です。ウルルはなんともいえない素敵な場所でした。またいつか行くことができるかな。